特殊地下壕の内部状況について
地下壕の崩壊(その1) 地下壕の崩壊(その2) 地下壕の内部状況 地下壕の対策工事  
地下壕に残っている火炎放射の跡(全て沖縄県内)
Photo 1-1
南風原町:沖縄陸軍病院壕
  • 画像は,南風原壕群に属する「No.20 沖縄陸軍病院壕」です。
  • 赤黒くなっている部分が,火炎放射器の火炎が届いたところです。
  • この部分は,入り口近くの横坑なのですが,火炎は曲がった部分にまで届いたことに驚かされます。
  • 縄陸軍病院壕は,平和教育受け入れ壕です。
Photo 1-2
那覇市:田原の壕
  • 画像は,那覇市の「田原の壕」です。
  • 当時,自動車が入れるほど大口径の地下壕だったため,収容人員も多かったのでしよう,「1フィート運動の会 活動報告」によると,戦後の発掘調査時に   遺骨が4~5体分発見されたとのことです。
  • 本壕は,2007年2月,那覇市によって埋め戻されました。
Photo 1-3
那覇市:具志の地下壕群の一つ
  • 画像は,那覇市の「具志の地下壕群」の一つです。
  • 比較的剥離の少ない状態で残っていました。
  • 宅地造成などで消滅したらしい,という情報があります。
Photo 1-4
那覇市:円星寺裏の壕
  • 画像は,那覇市の「具志の地下壕群」の一つです。
  • 比較的剥離の少ない状態で残っていました。
  • 宅地造成などで消滅したらしい,という情報があります。
Photo 1-5
糸満市:アンディラガマ
  • 画像は,糸満市の「アンディラガマ」です。
    地下壕として利用するために,ガマ(鍾乳洞)の内部が整形されています。
  • 資料では「昭和20年7月に火炎放射器による攻撃を受けた」とあり,ガマの内部が黒く煤けていることが,その事実を物語っています。
  • アンディラガマは,平和教育受け入れ壕です。
Photo 1-6
南城市:糸数壕(糸数アブチラガマ)
  • 画像は,南城市の「糸数壕(糸数アブチラガマ)」の内部です。
    地下壕として利用するために,ガマ(鍾乳洞)の内部が整形されています。
  • 資料によると,ガマに対する攻撃として「火炎放射器」,「ガソリンを流し込んで火をつけた」や「黄燐弾などの使用」とあります。
  • 避難していた住民204名のうち,74名が死亡されました。
  • 糸数豪(糸数アブチラガマ)は,平和教育受け入れ壕です。
Photo 1-7
那覇市:県庁壕(しっぽうじぬガマ)
  • 画像は,那覇市の「県庁壕(しっぽうじぬガマ)」の内部です。
    地下壕として利用するために,ガマ(鍾乳洞)の内部が整形されています。
  • 元々,このガマは御嶽(うたき)です。
    鍾乳石の根元には拝壇があって,火が焚かれた形跡がありますが,広いドームの中全体が煤けるような規模では無かったと思われます。
  • このため,資料には記載がありませんが,火炎放射器が使用されたものと考えました。
  • 御嶽(うたき)のため,お参りのために立ち入ることは自由でしたが,2013年以後,柵が設置されて閉鎖されました。
    理由は,盗掘防止とのことです。
Photo 1-8
那覇市:石部隊野戦病院分院の壕
  • 画像は,那覇市の「石部隊野戦病院分院の壕」の内部です。
    地下壕として利用するために,ガマ(鍾乳洞)の内部が整形されています。
  • このガマも御嶽です。
    現在も坑口に拝壇があって,千羽鶴などが供えられています。
  • 2018年5月現在,誰でもお参りすることができました(以後未確認)。
地下壕内部に滞留している水
Photo 2-1
砂岩を掘削して作られた軍用地下壕の井戸(水溜め)
[鍾乳石の長さは約5cmなので,
1年間に約1mm成長したことになります。]
  • 画像は,「海成砂岩」を掘削して作られた「軍用地下壕」です。
  • 海底で堆積した砂岩中には,大量の塩分と石灰分(サンゴや貝の死骸)が含まれており,陸地化後には,それらは地下水の中に溶けだします。
  • 海成砂岩が空洞になると,地下水(浸透雨水)は空洞内に徐々に流出し,含まれていた石灰分はいわゆる「鍾乳石」となります。
  • 画像は,地下壕が掘削されて約65年後の様子です。
    一見すると,鍾乳洞の中にいるのでは,と錯覚するほどの鍾乳石などができています。
  • この地下壕は危険と診断され,直ちに埋め戻し工事が実施されたため現在は存在しません。
Photo 2-2
砂岩・泥岩を掘削して作られた軍用地下壕
  • 画像は,「砂岩・泥岩互層」を掘削して作られた「軍用地下壕」です。
  • 資料によると,水深は最大で0.5m程度です。
  • この地下壕は危険と診断され,直ちに埋め戻し工事が実施されたため現在は存在しません。
Photo 2-3
琉球石灰岩・泥岩を掘削して作られた軍用地下壕
  • 画像は,「石灰岩・泥岩」を掘削して作られた「軍用地下壕」です。
  • 資料によると,水深は最大で1.0.程度です。
Photo 2-4
琉球石灰岩・泥岩を掘削して作られた「県庁壕」の井戸
  • 画像は,「県庁壕(しっぽうじぬガマ)」の井戸です。
    地下壕として利用するために,ガマ(鍾乳洞)の内部が整形されています。
  • 井戸が掘られている地質は,沖縄地方で「クチャ」と呼ばれている「泥岩」です。当然,水は通さないので,井戸から水が湧くことは有りません。
  • 地下壕の上半分は,透水性の良い「琉球石灰岩」です。すなわち,天盤から滴り落ちてくる地下水を溜めて飲用に使ったのでは,と想像します。
  • 元々この地下壕は「御嶽(うたき)」であったため,お参りのために立ち入ることは自由でした。
    しかし,2013年からは,柵と鍵により閉鎖されています。
Photo 2-5
琉球石灰岩を掘削して作られた「糸数壕(糸数アブチラガマ)」の井戸
  • 画像は,「糸数壕(糸数アブチラガマ)」の井戸です。
  • 井戸は,粘土質の土で整形してあるらしく,まん丸になっています。
    琉球石灰岩は水をよく通すので,井戸(水溜め)の底は泥岩かもしれません。
  • 糸数豪(糸数アブチラガマ)は,平和教育受け入れ壕です。
坑口の閉塞
Photo 3-1
普通の土砂で坑口を塞いだ事例
  • 二つの画像は,「砂岩」を掘削して作られた「軍用地下壕」です。
    説明の都合上並列しましたが,別の地下壕です。
  • (左)壕は,侵入者を防止する目的で,坑口のみを土砂で塞いだものと思われます。
  • (左)壕の床には,坑口の上部から雨水が侵入した形跡があります。
    これは,(右)壕のように,塞いだはずの坑口上部が。わずかに開いていることなどが理由と思われます。
Photo 3-2
坑口に石積みの擁壁を設置した事例
  • 画像は,「砂岩」を掘削して作られた「軍用地下壕」です。
  • 地下壕は崖地に作られます。
    戦後,土地を利用するにあたり,地下壕自体は埋め戻しせず,坑口を石積み擁壁で塞いだのです。
Photo 3-3
コンクリートブロックで塞いだ事例
  • 画像は,「石灰岩」の鍾乳洞を拡幅・延長して利用された「軍用地下壕」です。
  • 地下壕は崖地に作られます。
    戦後,土地を利用するにあたり,地下壕自体は埋め戻しせず,坑口をブロック積み擁壁で塞いだのです。
Photo 3-4
エアモルタルで下半分を塞いだ事例
  • 画像は,「角礫凝灰岩」を掘削して作られた「軍用地下壕」です。
  • 地下壕は崖地に作られます。
    戦後,土地を利用するにあたり,地下壕自体は埋め戻しせず,坑口の下半分をエアモルタルで塞いだのです。
  • 塞いだ後,相当程度時間が経っているため,手前側のモルタルの上に天盤からの崩落土砂が堆積しています。
地下壕における支保工
Photo 4-1
海軍司令部壕:支保工として使われていた木材のレプリカ
  • 画像は,豊見城市の「海軍司令部壕」です。
    壕内には,支保工として使われていた木材のレプリカが設置・展示されています。
  • 地下壕には,木材を垂直に立てるための溝が掘られていますが,司令部壕ではその溝も保存されています。
  • 海軍司令部壕は,平和教育受け入れ壕です。
Photo 4-2
シラスを掘削して作られた軍用地下壕に,支柱が1本だけ残っていました。
  • 画像は,シラスを掘削して作られた軍用地下壕ですが,撮影当時に支柱が1本だけ残っていました。
  • この地下壕は危険と診断され,直ちに埋め戻し工事が実施されたため現在は存在しません。
Photo 4-3
  • 画像は,砂岩を掘削して作られた軍用地下壕[田原の壕]です。
  • 坑木を支えるための垂直の窪地がはっきりと残っています。
  • この地下壕は危険と診断され,直ちに埋め戻し工事が実施されたため現在は存在しません。
Photo 4-4
  • 画像は,砂岩を掘削して作られた軍用地下壕[田原の壕]です。
  • 坑壁の上部から天盤にかけて,数本の釘が打ち込まれているのは,天盤を支えた支保工の跡ではないか,と考えています。
  • この地下壕は危険と診断され,直ちに埋め戻し工事が実施されたため現在は存在しません。
地下壕を掘削した鑿の痕
Photo 5-1
  • 画像は,砂岩を掘削して作られた軍用地下壕です。
  • 坑壁には,掘削時に付いたと思われる無数の傷跡が残っています。
  • この地下壕は危険と診断され,直ちに埋め戻し工事が実施されたため現在は存在しません。
Photo 5-2
  • 画像は,那覇市の「具志の地下壕群」の一つです。
  • 坑壁には,掘削時に付いたと思われるツルハシの傷跡が残っています。
  • 宅地造成などで消滅したらしい,という情報があります。
Photo 5-3
  • 画像は,砂岩を掘削して作られた軍用地下壕です。
  • 坑壁には,ツルハシなどで掘削したと思われる「痕」が残っています。
    また,1箇所だけ,釘が残されていました。
  • この壕は,長らく閉塞されていたため温度・湿度の変化が少なく,風化されにくかったものと考えています。
Photo 5-4
  • 画像は,シラスを掘削して作られた軍用地下壕です。
  • やや長い溝状の掘削痕が多数残っています。
    何か,専用の工具が使われていたのかもしれません。