砂嘴(すなのくちばし) ―江の島に相寄る片瀬川の砂嘴―
砂嘴(すなのくちばし) ―江の島に相寄る片瀬川の砂嘴― : 風景あるくの記 pp.88-90.

 よさこい節の土佐から東の方,紀伊の南端に潮ノ岬がある。 現在は燈台が建っているが,その昔は太平洋の怒涛が岩を噛み,悲鳴をあげたところであったろう。 この岬には見事な海岸段丘が残り,周囲は切り立った崖で囲まれている。 その最南端に一等燈台の白い塔が聳えている。
 岬は紀伊本土から孤立した島であったが,潮流が運ぶ砂によって両者は結ばれた。 このような島を陸繋島(りくけいとう)と呼んでいる。 このタイ(Tie)になる砂嘴の上に串本の町がある。 その対岸は歌に名高い大島(紀伊大島)が見える。 -中略-

 砂嘴の発達はまた至るところで見られる。 古くは広重の絵に出てくる江ノ島がそうで,この江ノ島をみると,砂嘴が十分発達して,いわゆるランド・タイ・アイランド(Land Tied Island)となっているものもある。 そして,江ノ島に参詣の人々が,その砂嘴の上を歩いている。 また他のものは,片瀬浜し全く離れた江ノ島の海上に浮かんでいるものもある。 これは広重の想像かと考えてみたが,片瀬川(現境川)のその時の運搬の状態では当然のことだということがすぐわかった。
  昭和の年代になってからも度々,広重の絵のようなことを繰り返している。 つまり砂嘴は短期間に伸びたり縮んだりする。 もしこれがくっつき通しならば,江ノ島にある鎌倉時代の僧の修行地の洞窟の意味がないわけだ。 それは,当時の鎌倉から人間世界を隔絶して,この洞窟において忍従の訓練を積んでいたのだから,そう簡単に行き来できるようでは,厳しい生活が乱される。 だからこそ人里はなれたこの島を選んだ。-中略-

 江ノ島と地形が似ているのは西の国,筑前博多の北にある志賀ノ島がある。 砂嘴の部分は江ノ島より大きく,博多湾を玄界灘の波浪から守り「海の中道」と呼ばれる。 その対岸に松本清張氏の「点と線」の舞台が始まる香椎の浜がある。
 北にいっては最近干拓工事が始まっている秋田県の八郎潟がある。 島根県の宍道湖と同様,二方向から伸びてくる砂嘴によってランド・タイ・アイランドとなっている。 この二つと佐渡の国中平野,能登の邑知潟を結ぶと裏日本海岸に沿うた大きな構造地形が考えられる。

注記 現在では,陸地と島,あるいは島と島を結ぶ「洲」のことを「トンボロ(陸繋砂州)」と言い,結ばれた元島を「陸繋島」と言います。 トンボロの原因は砂嘴が成長したものと,尖角州(三角形の砂州)が成長したものとがあります。 筆者の川崎氏は,前者(砂嘴の成長)について述べておられると推察します。

Kashmir 3Dによる「風景あるくの記」の再現 : 串本のトンボロ
  • 元島であった潮岬を紀伊半島に結び付けた「トンボロ(陸繋砂州)」は,紀伊大島側に偏して延びています。
  • 一方,トンボロの西側の袋港などには「波食棚」が存在しており,この場所が岩石海岸であることを示唆しています。
  • 以上から,トンボロは砂嘴の成長した結果で,それを形成した砂などは図右奥(北東側)から供給されたと考えられます。
  • この方向には熊野川や古座川が存在するので,これらが運搬してきた砂などが堆積しているのだろうと想像しています。
  • 参考情報 : 日本の地形千景プラス > 紀伊半島南西部の陸繋砂州群
Kashmir 3Dによる「風景あるくの記」の再現 : 江ノ島の(トンボロ)
  • 「江の島」の西に「相模川」の河口が,はるか西には「酒匂川」の河口があります。 湘南海岸の砂浜を作ってくれた大きな川です。
  • 相模川と酒匂川が運んできた砂が,江の島の対岸である「境川」の河口付近で「砂嘴」を作り,江の島と繋いでしまいました。
  • 普段は海水で覆われていますが,大潮の干潮時には歩いて島まで渡ることができます
  • 参考情報 : 日本の地形千景プラス・日本の地質案内 > 陸繋砂洲(トンボロ)と江の島
Kashmir 3Dによる「風景あるくの記」の再現 : その他のトンボロ;海の中道と能代砂丘・秋田砂丘
  • 海の中道は,日本有数のトンボロです。 延長は約8km,最大幅は約2.4kmもあります。
    形状から見て,砂嘴が大きく成長した結果で,その砂などの供給源は左図のA点付近と,はるか東の遠賀川かもしれません。
  • 男鹿半島が島だったころ,北東と南東の本州側には,別々に成長していた二つの砂嘴がありました。
    成長を続け,何れもトンボロとなって古男鹿島と繋がって男鹿半島となりました。 それらによって囲まれた潟湖が八郎潟です。
    八郎潟北側のトンボロは図外の米代川が運んできた砂などが堆積したもので,八郎潟南側のトンボロは図外の雄物川が運んできた砂などがが堆積したものでしょう。 いずれのトンボロでも冬季の強い季節風で砂丘が形成され,図上は「能代砂丘」,図下は「秋田砂丘」と呼ばれています。
  • 参考情報 : 日本の地質百選 > 海の中道~志賀島    日本の地形千景プラス > 海面より低い「八郎潟干拓地」
Kashmir 3Dによる「風景あるくの記」の再現 : その他のトンボロ ; 出雲平野・佐渡国中平野
  • 出雲平野は,縄文時代以後に形成されたという,極めて新しい土地です。 その主原因が斐伊川と神戸川が運んできた大量のマサ(真砂)でした。
    それは上流の花崗岩地帯で行われていた「たたら製鉄」のための砂鉄掘削に伴う「鉄穴流し」によるものです。
    従って,砂嘴が延びたのではなく,三角州あるいは尖角州が広大化して島根半島にまで達した結果と思われます。
  • かつての佐渡島は,古大佐渡島と古小佐渡島に分かれていました。 二つの島の間では,現両津湾側と現真野湾側で別々の砂嘴が成長を始め,やがてトンボロとなって両島の間が潟湖となりました。 大佐渡と小佐渡の山地からは,豪雨のたびに土砂が潟湖に押し寄せ,最終的に現在の地形が出来上がった,と想像されます。
  • 参考情報 : 日本の地形千景プラス > 巨大な三角州の出雲平野  日本の地形千景プラス > 佐渡島,砂州によって閉じ込められた加茂湖
Kashmir 3Dによる「風景あるくの記」の再現 : その他のトンボロ ; 邑知潟・函館市
  • 邑知潟平野は,南側の石動山地と北側の眉丈山地との間に形成された「地溝帯」に,完新世の堆積物で満たされた低地です。
    西側には「千里浜砂丘」があります。 まず砂嘴が生じ,やがて成長してトンボロとなった可能性があります。
    日本海側が締め切られたことで内湾が生じ,両方の山地からの土砂によりこの内湾が次第に埋め立てられたのかもしれません(想像です)。
  • 函館山の裏側には広大なトンボロが存在します。 函館市の中心部となっている場所です。
    最終氷期以後,函館山(島)との間に砂などが堆積し多のですが, 一説によると5000年ほど前,のようです。
    形状から,「尖角州」が成長したのでは,と想像しますが,確定ではありません。
  • 参考情報 : 日本の地質百選 : 邑知潟平野  日本の地形千景プラス > 函館山と巨大陸繋砂州
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