風景あるくの記 を辿って

『風景あるくの記』  作 ; 川崎 逸郎(故人) 発行者 ; (有)正文館 発行日 ; 昭和35(1960)年6月5日,第1刷 (絶版,出版社不明)
風景あるくの記

ま え が き

 私は職業柄よく旅をする。 自分の研究のための一人旅の時もあるが,野外実習などで学生諸君と一緒のときの方が多い。

 こうした旅の中で,風景について語ってきたこと,風景から教えられたことなどをまとめたのがこの本になった。 もちろん,耳の痛くなるようなことも遠慮なく書きました。

 「風景をあるく」と一口に言っても,自づから範囲も限られてくるし,そうかといって総花式になるのは通俗案内記めいてくる。 それでは困るので狭い範囲だがレベルを高めて書くことにした。 さて書く段になると,あれもこれもと入れるものが多く説明を残した地方も出てくるが,これは後日の機会を得てまとめることでご容赦を願いたい。

 風景と似た言葉に風土というのがあります。 地理学先輩の三沢勝衛さんは大気と大地が接するところが風土であるといっておられる。 風景は風土の地域的単元と私は考えているので「ところ変われば風景変わる」といってもよいと思う。 この当たり前のことを,この本ではふだんあまり考えられていない面から考えようとしています。

―後 略―

昭和三十五年三月

東京の西郊 祖師谷にて

 川 崎 逸 郎


装幀 瀬 谷 一 郎
風景あるくの記 : 各章のご紹介

  • 題名:風景を作るもの ―はじめに先ず風景ありき―
  • 内容:藤村の文章には大地の匂いが濃厚に感じられ,それが風土の地理的性格をはっきりさせている。 気候も地形も人物も混然一体となって美しい風景を描き出している。
  • 場所:馬籠宿(岐阜県)

  • 題名:動くこと大地の如し ―地形面交替の悲劇―
  • 内容:① 高温の泥流から逃れた人々の避難所となってところで,観音堂の境内となっている。 そこに浅間の爆発によって,不慮の死を遂げた人々の例が祀ってある。 ② 今後何年かの後に,地球が温暖化し地球上の氷河が消えたならば,現在の海水面は東京・大阪・名古屋・サンフランシスコ・ニューヨーク・ロンドンの大都市はもちろん,その周辺まで昇り,・・・・
  • 場所:鎌原泥流(群馬県),海抜ゼロメートル地帯(東京都,愛知県,大阪府)

  • 題名:山は変わって行く ―そして生きている―
  • 内容:花崗閃緑岩の多いこの地域の山の斜面には,風化によって崩れた石や泥が流れ出た「押出し」の地形がみられる。 そのため,一定量以上の雨水が浸み込むと動き出す可能性のある不安定な土地である。
  • 場所:旧芦川村(山梨県)

  • 題名:火山の変貌 ―火を噴く山も姿を変えて―
  • 内容:富士山のように秀麗な姿の火山も長い間,風雨にたたかれていると,山頂近くから掘れ溝が発達し,頂上と裾野にのびてゆく,そして大きな沢になり,台風や豪雨の都度,この掘れ溝は深く大きくなってゆく。
  • 場所:愛鷹山(静岡県),赤城山・榛名山(群馬県),箱根(神奈川県),富士山(静岡県・山梨県)

  • 題名:富士山 ―富士山よりも富士山らしい山 富士山の方が富士山らしい山―
  • 内容:日本のいたるところに何々富士と呼ばれる山が実に多い。 この感覚が実在の富士と呼名の富士がいつか混然一体となっている。 このような環境に育った人々は富士山は自分の国のものが富士山であると考え,また自分の国の山のような姿をした山を富士山と考えるようになった。
  • 場所:羊蹄山(北海道),富士山(静岡県・山梨県),利尻富士,北見富士,阿寒富士,津軽富士,南部片富士,出羽富士など

  • 題名:箱根山と宿場町 ―箱根八里は馬で超すのが当り前―
  • 内容:箱根山の旧東海道の宿場町の運命は,複式火山の中に立地したことから始まった。 もちろん交通路として箱根八里の最短距離を選定しているはずなのだが。 深い須雲(すくも)川のV字谷は何物も寄せ付けぬ厳しさが感じられる。
  • 場所:箱根火山と須雲川(神奈川県)

  • 題名:嬶(かかあ)天下と扇状地 ―上州名物はからっ風と―
  • 内容:この広々とした原野は砂利と砂と小石からできている。 昔から耕作に難しく,水田はまれで畑作が主な地域であった。 この扇状地の上に桐生・足利・高崎・伊勢崎と上州の織物生産地が並び,その歴史は古い。 この歴史を背景に嬶天下が生まれた。
  • 場所:赤城山山麓扇状地(群馬県),御坂山地北麓の扇状地(山梨県)

  • 題名:山手と下町 ―湯島通れば思いだす―
  • 内容:半七捕り物帖や,銭形平次に出てくる地名が,そのまま現代に残っている。 台地の上の町には小日向台町,高輪台町・・・などの台町があり,谷の部分では市ヶ谷,茗荷谷,鶯谷・・・,台町と谷町の中間の坂によるところは神楽坂,菊坂・・・となっている。
  • 場所:東京都(23区)

  • 題名:荒川の段丘 ―地形は変わる世のならい―
  • 内容:寄居町の南,荒川の対岸は絶壁をなして川にそそり立っている。 その上に鉢形城(はちがたじょう)がある(1473年から1590年まで約117年間にわたり城としての役目を果たした)。 背後に秩父の山を控え関東平野に面し,荒川の河岸段丘の上に立つこの城は四方が自然の流路を利用して堀としている。 自然の要害である。
  • 場所:寄居付近荒川段丘面(埼玉県)

  • 題名:伊奈は七谷糸引くけむり ―伊那の段丘―
  • 内容:この天竜川の上流にある細長い谷は伊那谷(いなだに)と呼ばれ,三州街道・遠州街道・岡谷街道など鉄道開通前の主要な交通路が通り,藤村の「夜明け前」の背景となり,井上靖著「風林火山」の舞台ともなっている。 そして,塩と魚はこの街道を通り信州に入って行った。
  • 場所:伊那谷(長野県)

  • 題名:移り変わる海岸 ―天女の素足がふれた砂浜も波で運ばれたもの
  • 内容:陸地は変動すると簡単にいっても,その動きがよほどはげしくないかぎり気の付かない場合が多い。 もし,その影響が海岸線付近にまで及ぶと,人は生活問題に関係してくるので,敏感である。 海岸線が沖に行ってもまた削られてきても,直ちに生活にひびく。
  • 場所:屛風ヶ浦(千葉県),久能海岸と三保の松原(静岡県)

  • 題名:横浜の砂嘴 ―外人墓地から港を見れば―
  • 内容:南の本牧台地の東端から北に伸びている砂嘴は,桜木町の東側まで来ている。 横濱では,台地の次に古い土地で現在ニューグランドホテル,外国商社,高級住宅のビルを始め多くの高層建築が,この砂丘の上に建てられている。
  • 場所:横浜市関内地区(神奈川県)

  • 題名:海岸段丘 ―みませ見せましょ浦戸をあげて―
  • 内容:燈台のある付近は,海抜100メートルの段丘面,その背後は200メートルの面があり,この二つの面の間は急傾斜となっているが,場所によっては一続きになっているところもある。
  • 場所:室戸岬(高知県),爪木崎(静岡県),御畳瀬(高知市)

  • 題名:砂嘴(すなのくちばし) ―江の島に相寄る片瀬川の砂嘴―
  • 内容:① 岬は紀伊本土から孤立した島であったが,潮流が運ぶ砂によって両者は結ばれた。 このような島を陸繋島(りくけいとう)と呼んでいる。 ② 砂嘴の発達はまた至るところで見られる。 古くは広重の絵に出てくる江ノ島がそうで,この江ノ島をみると,砂嘴が十分発達して,いわゆるランド・タイ・アイランド・・・・
  • 場所:潮岬・串本(和歌山県),江の島(神奈川県),志賀島(福岡県)

  • 題名:山 ―その生ひ立ちなど―
  • 内容:山,もっと端的にいえば尾根と谷の組み合わさったもの,また急斜面の組み合わせともいえる。 そして尾根と谷が一ヶ所で集まる部分に高い頂上をもった独立峯がある
  • 場所:大法山・鈴堀山(兵庫県),褶振峯(佐賀県),長柄山・鳥上山・高麻山(島根県),筑波山(茨城県)

  • 題名:遭難者候補者と遭難予定者 ―山行きは厳しいものだから・・・―
  • 内容:山の遭難事故は後を絶たない,次から次へと悲惨な事故が起こっている。 いや起こしている,といった方が適当かもしれない。 一つの遭難事故があると,必ず関係者の間で,批判やら反省談がニュースとして扱われる。
  • 場所:北アルプス・滝谷(岐阜県)

  • 題名:地図を読む ―地形図は道をみるものではない―
  • 内容:しかしこの地図を読むということは旅行案内にでている不正確な鳥瞰図や見取図しか見ていない人々にはむつかしい。 山に行く連中の中で,このような見取図や鳥瞰図程度が能力しか持ち合わせていない,
  • 場所:上高地近郊(長野県),参考情報(遡行図の二例と二万五千分の一地形図)

  • 題名:地図を作ってみよう ―そして地図の中で考えよう―
  • 内容:自分で実際に測量をし,等高線を描いてみるのが理解へのもっとも近道のように思う。 測量といっても大仕掛けなものでなく,一番簡単な器具を使用すればよい。 そこでさらに簡単で余りかさばらないものがある。 それはハンドレベルとクリノメーターだ。
  • 場所:園生貝塚(千葉県),四条河原町(京都府)

  • 題名:地図を立体視する ―地図は浮き上がって見えなくてはいけない―
  • 内容:地図の立体視とは二枚の地図を左右に並べて立体鏡で見ることではない。 ジーッと見ているうちに模型のように浮き上がってみえることで,なれてくると模型以上に細かく,小さい山のかげや,一寸した丘の凹みまでが実際と同じように見えてくる。
  • 場所:忍野近郊(山梨県),北軽井沢近郊(群馬県),参考情報(片眼で立体視)

  • 題名:風景をチェックする ―地図と車窓から―
  • 内容:移り変わる車窓の風景も,地点がわからないと興味もすくなくなってしまう。 もしも地点がわかっており,ある程度ものを見る能力のある人ならば十分地理を勉強したことと同じ結果になるといっても云いすぎではない。
  • 場所:函館本線・昆布~ニセコ(北海道),旧山田線・浪板海岸付近(岩手県),奥羽本線・和田駅付近(秋田県),など

  • 題名:人もまた風景を作る ―そして風景は人とともに変わって行く―
  • 内容:「風景をつくるもの」の中で自然が風景を作った時代は去り,人間が風景を作る時代になったことを書いた。 荒涼たる砂漠の中や,グリーンランドの氷原に,シベリアの大樹林帯にたちまち大工場が建設される今日では人間と大自然とはいよいよ深い関係になってゆく。
  • 場所:世田谷区祖師谷住宅・角筈(東京都),古椿海・印旛沼(千葉県),見沼田んぼ(埼玉県),姪浜(福岡県),など
【略歴:風景あるくの記】
  • 1923年茨城県に生まれ,立正大学文学部地理学科を卒業。
  • 陸軍気象部・旧制東京高等学校・東京大学付属高等学校を経て,現在(昭和35[1960]年)千葉大学文理学部地学教室。
  • 専攻は自然地理学・地形学。
  • 編者注 川崎逸郎氏は,1988年3月に千葉大学理学部教授で退官されましたが,1998年8月に逝去されました。 享年75歳でした。