島根県:巨大な三角州の出雲平野
地形の特徴

三角州,自然堤防,旧流路

地形(標高段彩図)の三次元イメージ : 出雲平野全景

「出雲平野」は,縄文時代以後に形成されたという,極めて新しい土地です。
その主原因が「斐伊川」と「神戸川」が運んできた大量の「マサ(真砂)」なのです。
それは上流の花崗岩地帯で行われていた,「たたら製鉄」のための砂鉄掘削に伴う「鉄穴流し」によるものです。
地形(標高段彩図)の三次元イメージ : 出雲平野と現斐伊川(1)

現在の「斐伊川」は「宍道湖」に注いでいますが,これは江戸時代の寛永年間の大洪水によって,河道が西向きから東向きに変わったからです。
その結果,洪水時には宍道湖の水位上昇が発生し,それによる浸水被害,大量のマサが河道に堆積することによる天井川化,などのリスクが発生しました。
「新川跡」は, 松江藩による「瀬替え」の一種で,1831年(天保2年)に開始され1836年(同7年)に完成しました。
斐伊川の東遷と新川の開削によって,宍道湖側の三角州は約4km延びたと言われています。
地形(標高段彩図)の三次元イメージ : 出雲平野と現斐伊川(2)

斐伊川と新川は著しい「天井川」です。 図示地点の地上高さは5.3mであるのに対し,平均河川水位は9.7mと4mも高くなっています
斐伊川の下流域に多くの旧河道が存在していますが,これは,人工的な「川違え(かわたがえ)」」と言う河川改修の結果です。
高くなった河床を下げると共に,三角州を拡張して耕作地を増やすことを目的としたようです。
地形(標高段彩図)の三次元イメージ : 出雲平野と神戸川

「浜山砂丘」は,斐伊川が運んできた大量のマサが,当時の海岸に堆積してできた砂浜から,主として冬季の強い西風によって運ばれて形成されました。
浜山砂丘の周辺にある微高地(薄いオレンジ色)は,全て砂丘です。
「神門(かむど)水海跡」は,有史以前に存在した内湾です。 しかし,近世になって埋め立てられ,「神西湖」のみが残っています。
【記事,引用情報と参考情報】

【記事】

  • (須藤2010)によると,更新世の最末期(約11千年前)頃までは,宍道湖も中海もありませんでした。
  • 縄文時代早期(約7千年前)頃に始まった海面上昇に伴い,現在の神戸川河口付近を湾口とする「古宍道湾」ができました。
  • その後,古宍道湾に注ぐ斐伊川河口に巨大な三角州が形成されたため,古宍道湾は潟湖である「古宍道湖」ができました。
    なお,湾口付近は「神門水海」と呼ばれています。
  • 弥生時代以降,斐伊川からの土砂が古宍道湾の残りを埋める一方,日野川からの土砂の供給で「弓ヶ浜」が形成され初めました。
  • 奈良時代以降,現在の宍道湖と中海の形ができあがりますが,この時点の斐伊川は,神戸川と同じく西側の日本海が河口でした。
  • 江戸時代の寛永年間(1635年と1639年)に発生した大洪水によって,斐伊川が東遷し,宍道湖に直接流れ込むようになりました。
    この結果,宍道湖側の三角州が形成されると共に,しばしば宍道湖の水位が上昇して洪水が多発するようになりました。

【引用情報】

【参考情報】

【お断り】