熊本県:川部川流域の山地集落(隠田集落:五木村,五家荘)
地形の特徴

隠田集落,山間僻地,山地集落

地形の三次元イメージ : 川部川流域と主な隠田集落

「五木村」内に散らばる小さな集落と旧泉村の「五家荘」は,隠田集落(おんでんしゅうらく)と言われています(詳細記事参照)。
九州山地脊梁部の西側に位置し,同じく山地東側の宮崎県椎葉村と背中合わせ,という山深いところです。
山襞に隠れるように小さな集落ができていて,第二次世界大戦前までは,主として山仕事と隠田による米作りなどで,生計を立てて来ました。
本ページでは,五木村内で5箇所と八代市泉町内で5箇所(五家荘)を抽出して,それぞれの土地の地形状況を紹介します。
地形の三次元イメージ : 五木村,八原(やつはる)・九折瀬(つづらせ)・梶原(かじわら)

「八原集落」と「九折瀬集落」は,同じ谷の斜面なのですが,前者が標高の高い緩傾斜地,後者はほぼ谷底に近い若干の緩傾斜地という関係になります。
「梶原集落」は,川辺川枝谷の「下梶原川」の右岸にある,大きな斜面の中腹にある緩斜面に位置しています。
防災科研発行の「地すべり地形分布図」によると,いずれの緩斜面も「地すべり地形」と評価されています。
かつての「地すべり移動体」であるかもしれません。
地形の三次元イメージ : 五木村,栗鶴(くりづる)・上平野(かみひらの)

「川辺川」沿いにあるいくつかの集落(例,宮園)は比較的新しいようなので,「隠田集落」としては「栗鶴集落」と「上平野集落」を抽出してみました。
前述の「地すべり地形分類図」によると,栗鶴集落は「地すべり移動体」と評価された場所に作られているようです。
地形の三次元イメージ : 五家荘,久連子(くれこ)

「川辺川」枝谷である「久連子川」の左岸部,河床にほど近い場所に「久連子集落」があります。
言い伝えによると,壇ノ浦で源氏に敗れた「平清経」の孫の一人が,隠れ住んだとのことです。
前述の「地すべり地形分類図」や,地形の特徴から見て,集落の場所は「土石流末端部」を開墾して作られているようです。」
地形の三次元イメージ :五家荘,椎原(しいばら)・仁田尾(にたお)

「椎原集落」には,「五家荘」で唯一の診療所があります。 「平清経」の孫の一人が,居を構えたとの言い伝えが残っています。
「仁田尾集落」は,源平の合戦よりよほど古く,「菅原道真」の子孫の隠れ家であったとの,言い伝えがあります。
椎原の南側は「地すべり地形」です。 「重ねるハザードマップ」では,両集落共土砂災害の危険性が指摘されています。
地形の三次元イメージ :五家荘,葉木(はぎ),樅木(もみき)

「葉木集落」は,川辺川枝谷の「谷内川」左岸の「緩傾斜地」にあります。「河成段丘面」のようですが,かつての「地すべり移動体」かもしれません。
伝説的には,「平清経」の孫の一人が隠れ住んだ,との謂れがあります。
「樅木集落」は,川辺川の最上流部に近く,人間が住むには厳しいと思われる場所です。河床からかなり高いところにある,「地すべり性緩斜面」でしょう。
伝説的には「菅原道真」の子孫,とのことです。
【記事,引用情報と参考情報】

【記事】

  • 隠田集落(おんでんしゅうらく)とは,平安時代の末期から江戸時代の初期頃まで,戦争に負けた武士が一族郎党を引き連れて,外部との接触が極めて少ない山奥(山間僻地)などに移住して開発した田地のことです。 隠れて開いた田,から名づけられました。
  • 岐阜県の白川郷,富山県の五箇山,徳島県の祖谷渓,熊本県の五家荘,宮崎県の椎葉村と米良荘が特に有名ですが,その他,奈良県の十津川村,福島県の檜枝岐などにも隠田集落が存在します。
  • 五木村は五家荘(現八代市泉町)の隣村であって,川辺川を共有することとから,隠田集落が存在したものと考えられています。

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【参考情報】

【お断り】