- 固結の弱い岩質であることと,波の強さもあって,有史以来数キロメートルに渡って岸壁は削られています。
- 鎌倉時代には源義経とかかわりが深い片岡常春の居城「佐貫城」があったと言われていますが,遺構は既にはるか沖にあります。
- また,旭市と銚子市との境界付近にはかって通蓮洞と呼ばれる海岸侵食によるものと思われる洞窟も存在していましたが,現在ではほとんど埋没しています。
- このように激しい海食によって1年に約1m海岸線が後退していたため,1960年代に消波ブロック(堤)の設置などの護岸工事行われました。
消波ブロックの設置後,陸地後退は緩やかになりましたが,崖に草本が繁茂し始め,さらに九十九里浜の浸食との関連性も問題となっています。
- 崖の上に広がる台地は,関東ローム層に覆われており,キャベツ畑が広がります。風の強いことを活かして30基以上の風力発電所の風車が稼働しています。
- 岩が屏風を立てたように続いているため「屏風~」と呼ばれている岩体は多くありますが,銚子市の名洗町から旭市の刑部岬にかけて続く「屏風ケ浦」は,高さ約30-60m,長さ約10kmで,その大きさから日本で最も雄大な「屏風ケ浦」といえます。
- この「屏風ケ浦」は古くからの景勝地でした。
江戸時代,浮世絵師が描き,当時流行した「銚子磯めぐり」の終点であったことなど,昔からの地元の人々以外にも親しまれてきました。
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