熊本県:緑川水系津留川と同浜戸川による河川争奪
地形の特徴

河川争奪,河成段丘(河岸段丘),風隙

地形(標高段彩図)と地質の三次元イメージ : 緑川,津留川,浜戸川
‼マウスオーバー‼  地図上にマウスを乗せてください。産総研・地質調査総合センターの「1/20万 シームレス地質図(出典,下記)」を表示します。

「緑川」の支流である「津留川」は,同じ緑川の支流である「浜戸川」の源流部を奪い取ってしまいました。
美里町から宇城市へと流れる細流の浜戸川は,流れる水量に似合わないほど広い河川敷を持っています。
それは,地質年代的に遥か昔,現在の津留川の水は,全て浜戸川となって段丘面(当時は沖積低地)上を流れていたからです。
河川争奪前後の流路図(想像)
  • 河川争奪前,「古浜戸川」は広大な「谷底平野」を形成して,緩やかに流れていました。 しかし,緑川支流の「古津留川」は,古浜戸川に向かって谷頭侵食をしていました。
  • 「古緑川」の流路が「古浜戸川」寄りに近づいたのが原因かどうかはわかりませんが,支流の「古津留川」の谷頭がついに「古浜戸川」へと達してしまいました。
  • 河床勾配は古浜戸川より古津留川の方がはるかに急なので,上流の水は全て古津留川へと流れ込みます。 水量が増したことにより,争奪点の上流部と下流部の下刻侵食力が増大して,「V字谷」が形成されました(谷中谷)。
河川争奪前の流向図(想像)

上流側地形の3Dイメージです。 図右下の「浜戸川」流域の広さは,今の「津留川」の上流部が無いと説明がつきません。
現在,争奪地点の標高差(比高)は約29mです。 争奪時は同じ標高だったので,この29mは全て「津留川」の「下刻侵食」の結果です。
争奪前には河床だったところを下刻して,「谷中谷=段丘化」を形成してしまいました。
【引用情報と参考情報】

【引用情報】

【参考情報】

  • 参考図書:そしえて文庫99,地図の風景 九州Ⅱ 熊本・大分・宮崎,pp.60-65.,そしえて刊,1982年4月10日
  • 地形のおはなし > 河川争奪と風隙とは  [事務局による平易な解説と本ウェブサイトでのケーススタディです。]

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