| 最近の大谷石採取場の陥没 |
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- 大谷石採取場跡地では,1989年2月から1991年4月にかけて,合計3箇所(A~C,D,E~F)の陥没と1箇所(G)の沈下が発生しました。
何れも,坑内採取のために残されていた柱(残柱)の破損,あるいは天端の抜け上がりが原因で陥没が発生したと考えられています。
- 1989年2月10日から3月18日にかけて「坂本Ⅰ地区」で発生した一連の陥没は,一般道と農地が陥没範囲の中に含まれており,人的被害の無かったのは全くの偶然で,実に幸運だったのです。
- この陥没が契機となって,栃木県は大谷石採取場跡地を監視するための観測システムを導入しました。 現在でも,監視業務は継続されています。
- 1990年3月29日の「坂本Ⅱ地区」の陥没は,観測システムが稼働してから約5ヶ月後でした。
陥没の約2ヶ月前から天端からの落石が増え始め,3月27日には立ち入り制限が実施されたため,この陥没での人的被害はありませんでした。
- 1991年4月29日の「瓦作地区」では,陥没の約1ヶ月前から岩石落下の回数が急増し,4月26日に付近一帯の立ち入り制限が実施され,こちらも人的被害は発生しませんでした。
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- 左は,1989年2月10日から3月18日にかけて「坂本Ⅰ地区」で発生した,一連の陥没(A~C)の北東壁の状況です。
地表を覆う「表土」の下は茶色の「(関東)ローム層」です。 その下には黒っぽい「旧表土層(らしき層)」と「砂礫層」が分布し,その下が「大谷層(Ot)」と思われます。
- 右は,1990年3月29日に「坂本Ⅱ地区」で発生した陥没(D)の北東壁の状況です。 オタマジャクシ状の形をした陥没穴です。
崩壊部分がアーチ状なので,砂礫層の直下にある大谷層の厚さ(採取場の天端厚)が足りなかったので陥没したのでは,と想像しています。
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- 1991年4月29日に瓦作地区で発生した大規模な陥没の状況です(E~G)。
- 小さな川から陥没孔の中に川水が流れ込んでいますが,この小川付近から東側の地表が写真に写っていません。 この範囲が深さ20mです。
- 陥没の深さが深いということは,残柱による支えが無くなっていたか,無いに等しいことになり,この大陥没はこの部分から始まったのかもしれません。
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