自然災害の記憶:那覇市・琉海ビル建設現場での地盤陥没事故(事故発生3日後の状況) |
写真①: ぐにゃりと曲がった工事用仮設作業台。 奥の作業台はほぼ倒壊しています。 |
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・1973年11月26日16時頃,那覇市前島2丁目の琉海(琉球海運)ビル建設工事現場で,突然地盤の陥没事故が発生しました。 ・陥没の範囲は約100m×約60m,深さ約8mと巨大で,隣接するアパート,民家など11棟が全半壊すると共に,駐車中の自動車11台が巻き込まれましたが,幸いなことに死者,負傷者はでませんでした。 ・陥没は,隣接する国道58号にまで及び,往復4車線の道路が3車線まで陥没しました。 ・琉海ビルの当初計画は地上4階地下4階の計画でしたが,1973年9月に地上20階に設計が変更されました。 ・鋼矢板を打ち込んで土留め擁壁を仮設した後で,地盤の掘削を行っていましたが,擁壁が崩壊したのです。 ・ただし,同日の12時頃より矢板が膨らむ,などの予兆が出たので,関係者と住民が避難し,国道も通行止めだったということです。 |
左図は,引用資料に記載されている情報を基にして,事務局が作成した簡易的な柱状図です。 ① 『深度4m付近から深度16m付近まで,N値が3~8という「軟らかい」~「中位」の粘性土で ある。 しかし,成分的にカルシウムを含んでいたため,強度的には軟弱地盤(N値2程度以下)と見なさなければならなかった』,という意味の反省が述べられています。 ② 『支持層と判断した島尻層泥岩は,圧力が解放されると膨張して崩れる』,という意味の記述があります。 |
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写真②: 隣接する民家が,陥没した地盤に飲み込まれています。 |
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写真③: 奥の格子のある民家は,陥没地盤の中に飲み込まれてしまっています。 |
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写真④: 事故当時, 国の出先機関が入っていたと思われるビル。 応急処置により埋め戻され,自動車が通れるようになった。 |
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写真⑤: ダンプカーによって砂(サンゴ砂か?)が運び込まれています。 |
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写真⑥: 埋め戻しは,現場の南側から開始されていました。 数台のダンプカーが写っています。 |
2021年8月21日編集 |