真玉御嶽の壕 No.58;那覇市小禄5丁目
写真撮影:2016年 4月

出典: 『一フィート運動十周年記念誌』,p.169,沖縄戦記録フイルム一フィート運動の会,1993年12月8日。

真玉御嶽(東側)。 この後ろにあるはずなのですが・・・・。 撮影:2016年 4月

真玉御嶽(西側)。 この後ろにあるはずなのですが・・・・。 撮影:2016年 4月

真玉御嶽(南側)。 この後ろにあるはずなのですが・・・・。 撮影:2016年 4月

星空公園の北側には小禄砂岩(ニービ)が露出しているところがありました。 資料によると、この地層を掘削したようです。
記事

・「真玉御嶽(まだんうたき)」は,現在「小禄星空公園」の中にあります。
 公園整備の一環なのか,市街地整備の一環なのかよくわかりませんが,当時3箇所あったとされる坑口の全てが,公園を取り囲む擁壁で覆われてしまったようです。

・「1フィート運動の会」による見取り図で「出入り口・山の中腹」とある部分は,メインとなっている地下壕よりも一段高くなっているので,当時の見張り所あるいは煙突と思われます。

・従って,擁壁ではなく地表に痕跡が残っている可能性があるので,見取り図の方角がわかれば,場所を推定できるかも知れません。

・右の地図は,電子国土(地理院タイル)にオーバーレイした推定位置図です(2016年3月)。
 想像図のため,方位や縮尺は全くの推定です。

引用文献[1フィート運動の会 活動報告]

調査日:1992年11月1日 No.58
 ・様 子:全長約300メートル。入口3カ所の内1カ所はトーチカ。 壕内は火炎放射で焼かれレンガ色になっている。
      1フイート運動の会で92年11月より10数回遺骨収集作業を行なう。 遺骨,遺品は黒炭状になって発見,まだ残っている可能性がある。
      「具志頭村 平仲正吉」と彫られた万年筆とそばに遺骨があった。 新聞報道により妹さんが名乗り出られた。
 ・形 態:構築
 ・使用者:日本軍
 ・遺 骨:20数体
 ・遺 品:焼け焦げた(畳,ムシロ,カンパン,石鹸,衣類,杭木,かや,本),薬ビン,花ビン,ビールビン(大日本),一升ビン,カーバイト,ナイフ,
      時計,硬貨,皿,茶碗,杯,陶器の手榴弾,銃剣,刀,鉄カブト,メガネ,ランプ,ゴーグル,油差し,水筒,下駄,ぽっくり,文鎮,軍靴,
      万年筆,硬貨,ほうろうの食器,かや,砲弾,ジーファ,蓄音機,レコードなど
 ・土 質:ニービ

・『1フィート運動10周年記念誌』152ページには,この「真玉御嶽の壕」に触れている宇地原 睦恵さんの手記が掲載されています。 少しだけ引用します。
 『一番印象に残るのは真玉御嶽の地下にある壕,全長約300mありここも内部は火炎放射で焼かれレンガ色になっている。 見た目では坑木が散らばるぐらいで他は土砂に埋もれ何も見えないが,国吉さんが示すところを掘ると遺骨や遺品が出る。 この壕の中央あたりの部屋では,黒炭状になった畳,衣類,蓄音機,鉄カブト,カンパンなどの遺品と共に遺骨が多数掘り出された。』

関連情報

① 那覇市立教育研究所の公開資料(小禄地区 No.10)