ナゲーラ壕(第六十二師団野戦病院壕);南風原町新川
写真撮影:2013年1月

(左)引用:『南風原町の歴史と文化』を元にして,「一フィート運動の会」のホームページで公開されていた情報です。
(右)元図に観察結果を加筆し,更に最新の電子国土に重ね描きしました。 本図は想像図(参考図)です。

A点:対岸の「A地点」から庶務室を撮影しましたが,安里川の浸食により,庶務室は消滅しました。 
左の赤い矢印は正面の坑口です。また,右の二つの坑口は「製品室」と「手術室」の分岐点付近です。

庶務室付近(B点)からC点付近を写しました。

H点から二つの坑口を写しました。 方向としては,死体捨場へ向かう木橋になります。

 C点からの奥です。 小さな滝の左には,看護隊控室がありました。
写真に写っている水の流れは,「看護隊控室」と「炊事場」間の河川水が,高速道路の建設により,地下壕を流路として付け替えられたためです。

D点:手術室付近の様子です。

E点:手術室の奥の様子です。

F点:この先は,高速道路建設で埋め戻された区間です。

G点:安里川に近いせいか「カビ?」と思われる白い物質が一面に付着しています。 崩壊の痕跡はありませんでした。
記事

・ナゲーラ壕は、陸軍第三十二軍第六二師団野戦病院壕として使用された地下壕です。
 首里に近いため,首里高等女学校と昭和高等女学校の学徒援護隊が配属になったそうです。
 しかし,昭和高等女学校生は後に識名分室壕に移され,本壕は首里高等女学校生がそのまま勤務していたとのことです。

・ナゲーラ壕の死者は,数百人に上るとのことです。 詳しくは,以下の各文献を参照して下さい。

・写真は,金城川(安里川)の河川改修工事が始まる直前の2012年11月~2013年1月に撮影しました。

・2015年3月に再訪したところ,安里川の改修は右岸側(那覇市側)のみで,南風原町側はそのままになっているので,ナゲーラ壕はまだ入坑できる模様です。
 注 2015年4月以降の現状については未確認です。

引用文献[1フィート運動の会 活動報告]

調査日:92.7.2, 93.3.6 No.23
 ・様  子:全長約200m。 首里崎山町と南風原町新川の境界を流れる安里川をはさんで両側に入口が7ヵ所あり,横穴式に掘り込まれている。
 ・形  態:構築
 ・使用者:野戦病院
 ・遺  品:軍靴,茶碗,ビールビン(大日本)
 ・土  質:ニービ(砂岩),クチャ(泥岩)
  注記 : 上記「境界を流れる安里川・・」とは,正確には「安里川沿いに3箇所,それに合流する細流の左右に4箇所」になります。

関連情報

① 南風原町の戦跡: ナゲーラ壕 南風原町。
② 「沖縄陸軍病院壕」,沖縄の戦跡ブック『ガマ』,pp.69~70,沖縄県高教組教育資料センター編集,2009年,ISBN978-4-903042-16-9
③ 「南風原陸軍病院壕」,沖縄の戦争遺跡,pp.37,沖縄県平和祈念資料館編集,2007年,ISBN978-4-903042-14-5
④ ナゲーラ壕:沖縄県戦争遺跡詳細分布調査(Ⅰ)―南部編―,沖縄県立埋蔵文化財センター調査報告書第5集,p.54.,2001
⑤ [98 ナゲーラの壕(2)]怖かった死体処理,琉球新報,1984年2月10日掲載 ⇒ 現在,掲載先は不明です。