東京都:三宅島火山(雄山)の火山地形
     (日本の地質百選:三宅島)
地形の特徴

活火山,成層火山,カルデラ,後カルデラ噴火,溶岩流,火砕岩,スコリア丘,マグマ水蒸気爆発,マール,火山ガス

地形と地質の三次元イメージ : 三宅島火山
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  • 「三宅島火山」の基部は水深約450mの海底にありますが,最高点は雄山山頂の標高約775mなので,山の高さとしてはおおよそ1200m強となります。
  • 三宅島火山は,まず標高350m付近の「桑木平カルデラ」の形成から始まりました。
  • その後,桑木平カルデラの内部で「後桑木平カルデラ火山」が活動を開始し,カルデラ壁をはるかに超える高さの火山へと成長しましたが,やがて山頂部が陥没し「八丁平カルデラ」が形成されました(地質図に記載があります)。
  • この八丁平カルデラの形成後にも,後カルデラ火山が生まれました。「雄山」がそれですが,2000年の活動期に都合3回目となる陥没が発生し,「2000年カルデラ」が形成されました。 現在の火口のことです。
地形と地質の三次元イメージ : 三宅島火山を構成する3つのカルデラ
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  • 2000年7月,雄山の山頂火口で噴火が始まりました。 各溶岩流の年代を注視すると,山頂火口での噴火は実にしばらくぶりの事でした。 ですが,
    この噴火の最大の特徴は,溶岩など固体の噴出物の量ではなく「火山ガス」の大量放出でした。 生命を脅かすほどの濃度である,とのことで,9月初めに全島民の島外避難が始まり,解除になったのは実に4年半後の2005年2月のことでした。
  • 「桑木平カルデラ」は,「大船戸期噴出物:OF」と「先大船戸期噴出物:PKC」の境界がはっきりしている山腹西側の1/4ほどで,確実視されています。 
    この区間では桑木平カルデラの外側(低い方)には谷が発達し,内側(高い方)には「ガリー」程度しか無いので,地形的特徴も明瞭な差があります。
    その他の区間では,カルデラ特有の地質的あるいは地形的な差が不明瞭となるので(特に南側半分は不明瞭),桑木平カルデラの痕跡は無さそうです。
  • 「八丁平カルデラ」の場合は,山頂カルデラによって北半分が陥没により消滅しているため,南半分しか痕跡が残っていないようです。
  • 2000年の噴火では,火口内部で陥没が発生して新たな「2000年カルデラ」が形成されました。
  • 三宅島火山は単純な成層火山のような容姿をしていますが,その成長過程で3回もの「陥没-カルデラ」の形成史を持つに至った火山である,と言えます。
地形と地質の三次元イメージ : 1983年噴火の溶岩流(1983L)
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  • 「三宅島火山」は日本でも有数な活火山です。 その特徴は,大きな「山頂カルデラ」,山腹の「割れ目噴火」と,海岸近くの「爆裂火口」群の存在です。
  • 1983年10月,南東斜面の山頂近くで「割れ目噴火」が始まり,大量の溶岩(溶岩流:1983L)が噴出しました。
  • 噴出口の直下で三つの流れに分かれた溶岩流のうち,ほぼ西に向かった溶岩は当時夕景浜海岸付近にあった「阿古集落」にまで達しました(写真1参照)。
    同集落では,計330棟もの住宅,阿古小・中学校,給食センターなどが溶岩にのみ込まれたり焼失したとの記録が残っています。
  • 三つに分かれた「1983L」のうちほぼ南に向かった溶岩は,新澪池近くの「粟辺地域」を通過して海にまで達しました(写真2参照)。

写真1 1983Lの状況その1  夕景浜近くの阿古集落に溶岩が押し寄せ,多くの建物が飲み込まれたり焼失しました。
地形と地質の三次元イメージ : 三つの爆裂火口(マール)
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  • 「1763年8月17日(宝暦13年7月9日)に始まった活動は,頂上噴火に始まりましたが,後,山腹の亀裂噴火へと変化したようです。
    山腹火口群で最も低い場所にある火口活動の規模が最大で,後に水が溜って「火口湖」が形成されました。 これが「新澪池(しんみょういけ)」です。
    1983年10月3日に発生した亀裂噴火に伴う「火砕丘(1983S)」の生成によって水蒸気爆発が生じ,水が蒸発すると共に池自体が埋められてしまいました。
  • 「大路池(古澪)」とその右にある「山澪」は,「雄山期」にマグマ水蒸気爆発によってできた「マール」なので,新澪池跡よりも年代は古くなります。
    大路池に接して小さなマールが存在しますが,その南側の曲線状の海岸線も同時期に爆発してできたマールと言われています。

写真2 1983Lの状況その2  1983年の噴火により,新澪池は姿かたちを変えてしまいました。 また,粟辺地区を溶岩流が通過してゆきました。
地形と地質の三次元イメージ : 三宅島火山の北斜面
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  • 三宅島火山の北斜面の大部分は「大船戸期噴出物:OF」で覆われていて,南側の斜面ほど変化には富んでいませんが,それでも山頂あるいは山腹の亀裂性噴火の跡が残っています。
  • 最も顕著な地形は「1874L」と呼ばれている山腹噴火による溶岩流で,現在の湯ノ浜地区まで流れ下りました。
  • 同様に,「1962L」は現在の「赤場暁(あかばっきょう)地区」の大半を飲み込んでしまいました(最新噴火から3つ前の新しい噴火です)。
  • スコリア丘では,「1874L」近くの「風早スコリア丘:KHS」や「見取畑スコリア丘:MBS」が目立ちますが,北側斜面のスコリア丘は現在の活動期のものでは無さそうです。
【空中写真】 三宅島

羽田空港に着陸する定期便から撮影しました。 成層火山の特徴がよくわかります。
【三宅島巡検記より】

旧GUPI『三宅島巡見記』 より。
①雄山山頂。  ②新鼻,マグマ水蒸気爆発跡。  ③1983年の溶岩で埋まった建物。  ④水中で急冷した溶岩。
【引用情報と参考情報】

【引用情報】

【参考情報】

【お断り】

  • 本ページは,旧GUPIのウェブサイト「地質情報ポータルサイト」で公開されていた「日本の地質百選」を基にして,事務局が「三次元地形図」,「三次元地質図」や独自取材による記事などを追加して再編集しました。