富山県:断層によって生まれた呉羽丘陵
地形の特徴

河成段丘(河岸段丘),断層変位地形,側方侵食

地形と都市圏活断層図三次元イメージ : 射水丘陵~呉羽丘陵
‼マウスオーバー‼  地図上にマウスを乗せてください。国土地理院の「都市圏活断層図(出典,下記)」を表示します。

「射水丘陵」と「呉羽丘陵」の間の鞍部(富山西IC付近)には,かつて「古神通川」が流れていました(この時代,まだ丘陵ではありませんでした)。
「呉羽丘陵」の脊梁部は,新生代第四紀更新世(約100万年前)の「礫層」や「砂泥互層」で構成されています。
呉羽丘陵や鞍部の西側段丘面は,当時この付近を流れていた「古神通川」が堆積したものだったのです。
その後,「呉羽山断層」が活動し,現在の呉羽丘陵が隆起し,神通川は丘陵と化しつつあった場所の東側に移動したのです。
「中村ほか2003年]によると,神通川が射水方面に流れていたのは今から20万年より前で,5~6万年前に東に遷移したとのことです。
図中の「赤矢印」は,かつての神通川の流れの方向を想像したものです(確証はありません)。
標高段彩図の三次元イメージ : 射水丘陵~呉羽丘陵

「呉羽丘陵」の東端は,富山平野(東側)に向かって急激に落ち込む「急崖地形」を示しています。
これは「断層崖」ではなく,隆起した呉羽丘陵の東側に接して流れていた「古神通川」の「側方侵食」によるものです(削り取られたのです)。
【記事,引用情報と参考情報】

【記事】

  • 呉羽山断層が活動した結果,以下のことが起こったと考えられています。
    ・断層の西側が隆起したことより,呉羽丘陵が形成されました。
    ・断層の東側が沈降したことより,既に存在した「射水丘陵」と,後に「呉羽丘陵」との間を流れていた「神通川」が,丘陵の東側に移動しました。
  • 神通川が飛騨山脈から運んでくる土砂の量が膨大であるため,呉羽山断層そのものがこれらの土砂の下に埋もれてしまった,と考えられます。

【引用情報】

【参考情報】

【お断り】