繁多川公園内の壕群 No.29;那覇市繁多川4丁目
写真撮影:2007年4月~2013年2月

対策工事前の状況です。  撮影:2007年4月。

対策工事前のガマの内部状況です。 狭い通路の奥に,火を焚いた跡が残っていました。 撮影:2007年4月。

焚火をした後のようなので,戦争による影響ではなさそうです。

対策済みの状況です。 撮影:2013年2月。
記事

・繁多川公園から金武ダムにかけての琉球石灰岩には多くのガマが点在し,確認されただけでもNo.29~No.35の7箇所が地下壕として利用されたようです。
 文献の記載を見ると,No.29は自然のガマ(鍾乳洞)をそのまま使用したようです。

・2007年当時は鉄柵が設置されていました。
 このガマはその鉄柵から数メートルのところで天井が低く幅も狭くなっていましたが,その奥には大きな空間が広がっていたようです。
 奥に写っている黒い物(炭)は,恐らく戦後に野宿やたき火などをした跡でしょう。

・このガマは,那覇市によってコンクリート製の侵入防止壁が設置されています。現在では,内部の様子を伺うことはできません。

引用文献[1フィート運動の会 活動報告]

調査日:1993年10月10日 No.29
 ・様 子:奥行約20メートルの鍾乳洞。 大量の薬ビンがあった。
 ・形 態:自然壕
 ・使用者:民間・日本軍
 ・遺 品:ビールビン(大日本),軍靴,缶詰の空き缶,薬ビン,ボタン,ホーロー食器,「東京階行社の刀手入れ油」と書かれたビン
 ・土 質:琉球石灰岩

関連情報

① 那覇市立教育研究所の公開資料(真和志地区 No.8)