崎山町4丁目の壕 No.13;那覇市首里崎山町4丁目
写真撮影:2015年 3月

入り口の一つと思われる墓(正面のコンクリートブロックと,その右の黒い石積みの部分)。

更に右側にも古いお墓があります。  これらが避難壕として,使われたようです。     「戦時壕後(跡)」と読めます。  

周辺には古いお墓が残っています。 これらも,戦時壕として使われたのかもしれません。
記事

・那覇市の東側をぐるりと取り巻く環状2号線(県道82号那覇糸満線)。
 上間交差点から首里に向かって急な坂を登り,金城ダムに繋がる交差点が近づくと,左の丘の麓に無数のお墓が立ち並んでいる情景が目に飛び込んできます。
 このお墓の背後は琉球石灰岩の急崖となっており,「ガマ」と呼ばれている鍾乳洞が散見されます。

・古い時代,ガマはお墓として利用されて来ましたが,太平洋戦争時代末期,空襲や艦砲射撃,上陸戦が始まるとこれらのガマは防空・避難壕として利用されました。

引用文献[1フィート運動の会 活動報告]

調査日:1993年10月10日 No.13
 ・様 子:全長約20メートル。 4ヵ所の風葬墓の棚を横穴でつないでいる。
 ・形 態:構築
 ・使用者:未確認
 ・遺 品:なし
 ・土 質:琉球石灰岩

関連情報

① 那覇市立教育研究所の公開資料(首里地区 No.13) 注:教育研究所No.13 の記述は,本WebページのNo.13とNo.14を合わせたもののように思います。