垂直に突き出した岩肌が特徴的な「竹山」は,古来から修験道の修行の場であったと考えられ,幕末に薩摩藩が編纂した「三国名勝図会」には,以下のような記述があります。
『文化8年,11月2日夜,官船神明丸という船を鳶之口峯(竹山の海側)の下あたりに繋いでいたところ,竹山の上に星のように火が点り,その船に飛来し,たちまち帆柱の上に提灯が現れ,山伏のような者が見えたので,舟人はとても恐れて,船中に隠れたが,ことごとくけり倒され気を失った。
翌朝見たとこ ろ,帆柱はねじ切られていた。 そのような事は昔から今に絶えず,当山(竹山)に霊験があることは,近隣から遠方まで知らない者はない。』
この話は,江戸時代の竹山神祠の祭神は「烏帽子岳大権現大天狗」であったところより生まれた,天狗伝説と考えられています。
また,竹山自体は霊山として信仰の対象ともなっており,第二次大戦中においては,竹山の頂上に位置する竹山神社が武運の神として知られたところから,出征兵士の参拝が相次いだそうです。
地元の古老によると,竹山の急な山道を登り頂上に達した時,「ああ疲れた」と言うと,天狗に尻を蹴られるから気をつけろ,という話が伝わっているそうです。
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